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このタイトルは基本意味はありません

物を書くときは、『テーマ:小タイトル→内容』と書きます。
ですが、ここの記事には、特にそんなものはありません。
例えば・・・

それをいつやるの。

今でしょ!!

とかいうわけのわからない文章にして混乱させることもあります。
検索エンジン対策上、そういうことは基本的に『嫌がらせ』なので、しないようにします。

本題:国産紅茶の歴史の記事について

昨日と今日で国産紅茶の歴史『日本人と紅茶の黎明』『お茶は日本の主力産業だった』を書きました。
本当は、僕の歴史の勉強の主戦場『聖徳太子と蘇我三代』を書ければよかったんですが、お茶の歴史の始まりがそれより200年ぐらい後の空海さんと最澄さんなのでどうしようもなく。

振り返りで話しますと、この2つの回では、あとにつながる布石がたくさん仕掛けてあります。
例えば地名とか例えば人物とか、振り返ると運命かと思うくらいの事を布石として仕掛けました。
全部終わるまでに全部わかる人は業界人以外いないと思いますが、それまでコメント欄でいろいろ探っててもいいかと思います。
(答えは言いませんが)

日本人の紅茶の黎明について

日本におけるお茶の起源と同じく諸説あります。
諸説ありますので、出所がしっかりしてそうな事を両方とも書きました。
一つ目はいかにも物語になりそうな話、もう一つはいかにも文献考証学者が狂喜乱舞していそうなもの。
正直、和同開珎と富本銭の例もありますので、どれが確実に最初という証拠は出せない所がつらいですね。歴史は常に『再』発見によって塗り替えられていきますから。
もし、安土桃山あたりに、ドイツ人やオランダ人当たりに日本に持ち込まれてて、時の数寄者に振舞っていたとかいう日記が出てきたら(日本人の日記好きは世界でも異常)、こりゃまた大変だ!!って話になりますので。
ちなみに、本編では触れませんでしたが、イギリスのイングリッシュガーデンは、日本の庭園をドイツ人が手記にまとめてそれをイギリス人が見て出来上がってます。イングリッシュガーデンと庭園は兄弟関係ですね。

お茶は日本の主力産業だったについて

今では見る影もありませんが、日本は大体1970年ぐらいまで、本当に世界有数のお茶の輸出国でした。
本編では触れないのでここで書きますが、戦前には4~5万t、戦後でも1万t緑茶を輸出してました。
購入先は戦後はアフリカの大都市。特に英語圏の所。戦前はわかりません。後で調べておきます。
そこは戦前中国から緑茶を仕入れていたのですが、戦後はアジアが戦後復興の遅れから戦前の茶の消費国はどこかからか買わないといけなくなるわけです。
日本は、戦争末期の縮小策で一時的にお茶の生産は減りましたが、もともと広大な茶園を有していましたので、その点はあっという間に復帰です。
ちなみに、世界中で飲まれている緑茶は日本で飲むような、アミノ酸で甘い甘い緑茶ではなく、ぐり茶と言われる『玉緑茶』というもので、若干高い温度で淹れても大丈夫なものです。釜炒り茶に近いですが違います。伊豆とか九州とかで今でも買えますから、気になった方はお買い上げになられてはいかがでしょうか。
気が向けば、ここでもアマゾンアフィとか貼りたいな・・・

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