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京都紅茶道部

お茶の初めに

まずはお茶と日本人との関わりについて知っていただきたいと思います。
お茶が日本に入ってきたのは大きく2回、平安時代と鎌倉時代です。
平安時代には当時の留学僧たちが種子や苗を持ち帰り天皇に献上し、畿内を中心に茶園を作らせ、鎌倉時代では留学僧が持ち帰った種子や苗を自分の寺院や知り合いの寺院に植えて行ったそうです。
故に、日本には数箇所『日本初の茶園』というのがあります。

この時点では、皆さんがよく知る『お茶』というのは出てきません。
平安時代のお茶は『煮出し茶』(プーアル茶のようなものじゃなかったかと言われてます)、鎌倉時代のお茶は『抹茶』です。(プーアル茶を抹茶にしたものもあったそうです)

現代に繋がるお茶の登場

現代のお茶に繋がる『お茶』の登場は、江戸時代に帰国した留学僧が
『煎茶法』をもたらしたことに始まります。
江戸時代から薄く広く浸透し、戦後のお茶の生産・消費拡大により、
茶業界の中核を担うようになりました。

日本人と紅茶の黎明

『日本で初めて欧式茶会に呼ばれた日本人』大黒屋光太夫
港イメージ

お茶は日本の主力産業だった

紅茶に先立ち、日本では緑茶が海外に向けて輸出されてました。
茶園

大企業によるプランテーション生産

各地で教育機関ができ、同じく紅茶会社が誕生し、一時期は数百トンクラスの生産まで至りましたが
田舎の唐箕(とうみ)

戦後復興策としての紅茶、そして消される灯火

戦争が終わり、敗戦国になった日本は、全ての輸出が止まりました。
日本全体が貧困に襲われ、深刻な食料不足に襲われることになります。
やぶきた4種リーフ

国産紅茶の壊滅~そして復活の芽

【国産紅茶の終焉】
国の主導で始まった事業は、国の手によって終焉を迎えました。
全国の紅茶園は次々と抜根され、消費が伸び続けていた緑茶へと姿を変えていきました。
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